2014年11月17日月曜日

リプロセンターへの一歩(市販薬化が必要な理由その7)

日本は避妊サポートの先進国だった


日本は人類史上初めて、避妊を国策として採用します。
家族計画運動です。
1950年代の日本は、避妊について最も先進的な国でした。
家族計画運動を担ったのは、助産婦や保健婦でした。
当時、主流の避妊法はペッサリーでした。
町内会単位で避妊法の講習会が開かれ、
女性達に避妊法を教えました。
避妊の普及と乳幼児保健の改善はセットで進められました。
単発の講習会だけでなく、日常的な相談・指導が行われました。
しかし、避妊法がコンドームに移るにつれ、
地域での家族計画運動は衰退していきました。

ピル鎖国の40年間


日本がピル鎖国をしていた40年の間に、
日本は避妊先進国の地位を失います。
欧米ではこの間に、地域の避妊相談施設が設立され充実していきます。
避妊相談施設は、単に避妊だけでなくSTD予防、性自認、DVから禁煙まで、
カバーする領域を広げていきました。

 

避妊相談施設のメリット


避妊の問題は純然たる医学問題とは言えません。
場合によっては、人生相談的な内容にわたることもあります。
実は、日本はそのような避妊相談の先進国でした。
1952年に優生保護法の一部を改正し、受胎調節実地指導員制度が創設されました。
1955年の改正では、受胎調節実地指導員に避妊薬(非経口)の販売を認める改正がなされました。
受胎調節実地指導員は、女性達の悩みの相談相手でした。
女性達の声に耳を傾ける受胎調節実地指導員がいたから、
避妊法が日本の隅々まで普及しました。
現在も受胎調節実地指導員の制度は残っていますが、
多分に形骸化しています。
避妊は個々人の社会的・個人的背景が関係しますので、
ソーシャルワーカー的な要素が必要です。

2009年、日本看護協会は受胎調節実地指導員の呼称をリプロ・ヘルス・サポーターとすることにしました。
新しい呼称とともに、実質も蘇ることが期待されています。
緊急避妊薬の市販薬化は、その条件の1つとなります。

参照 町の女性保健室は必要ないですか?

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